アーヤと魔女のあんな終わりかた、劇場に行く仕掛けではありませんか笑〈ゆらぎと眠り〉のセラピスト浅沼瞳です。
はじめはペトペトだったり焦がしたりしていた「たまごパラパラ炒飯」が最近は得意げになってきました。
わお。
炒飯見えない、わお。
先日、坂口恭平さんの個展を観に下北沢へ行ってきました。
もう都会へは実家に行く以外、このくらい観たいと思わせるなにかがないと行きたくないだなあ。家で研究したり畑にいたほうが発見やよろこびがある。け、ど、坂口さんの作品はリアルで観たかったし、電車と携帯の揺れで酔って挫折しそうになったけど行ってよかった。
扉をあけるとまず目に入ってきたのは、風がふわーっと大きく流れている作品。風は風として描かれてはいないけれど、木々のゆれと空のゆれで風を体感できて、おおきな風が流れてきます。
写真は一枚も撮れなくて、撮影可ではありましたが撮れなくて、周りの方々はけっこうパシャパシャ気兼ねなく撮っていて、
あー、写真かあ、写真撮っておこうかな、撮るのかなあ、撮りますか?と遠くのほうで声がするんですけど、体はいっこうに撮ろうとしない、手が携帯に伸びない、作品に精神がある状態。今振り返ってみると起きていながらレム睡眠状態になっていて、一枚も撮らずに帰りました。です。
こちらはDM。
わたしは地球に空がなかったらとっくに生き続けてはいなかったから、こんなふうに現実よりも脳裏に記憶される作品に惹かれずにはいられません。
と言っておきながら、寝ても覚めても思い出されるのは、ある作品の左に描かれたオレンジいろのカーブミラー。カーブミラーに思い出や思い入れはまったくなくて、それでもわたしの記憶の一部にカーブミラーを境界線にしてふれてきて。思い出そうとして思い出せるたぐいのものではないので、いつかの合致に託している最中です。
力みなく考えこむことなく描かれている線なのですが、立体感があって、無駄なくやさしい光があって、カーブミラーだけ、を描いている作品ではまったくないけれど静かにある、存在感。はなれて観ると溶け込むし、近くで観るとホッとする。
この作品のみならず、会場内も心地よい風が吹いているような空間になっていました。
会期は月曜日はお休みで27日まで。
下北沢reroad内のGreatBooksにて。
気おくれせずに入れる雰囲気なので都会の方はサッと寄ってみてー。実際にみると、心にふれる記憶の残りかたが写真とは違うところに作用します。
さっちゃんは真っ黒と光の作品が星空みたいとおっしゃっていて気に入っていました。
ほほーぅ。
誰かと話すとまたなにかが引き出されそうな予感がいたしますので、観た方はぜひに!お知らせください。