「私は私として生まれてきて私にしかできない感じ方とか考え方を持っていて、ただそのことだけでもう、いいと思うの。決して悲しくはないよ」吉本ばなな
今朝は畑に行きましたら、赤紫蘇に、藍に、トゥルシーも花穗をつけていました。
今年初!の胡麻は、あっという間に花が咲き、そこからどうなるんだ?と観察していると、あれよという間に房がなり、どうやらこの房に種=胡麻が蓄えられているようだぞ、それはわかったけれどもいつが採り時なのでしょう、とチラチラ気にして過ごし約2週間が経った今日、胡麻の房に
そろそろ採ってもいいでしょうか?
と聴いてみたところ
採ってみたら💜
と返ってきましたので
大きい房を収穫してみました。
うぶ毛ふさふさ。
家に帰って一目散で房を開いてみると
ひと房が4部屋に分かれ、ひと部屋ごとにビッシリ胡麻が!
黒胡麻でした( ≧∀≦)ノ
ここから
2~3日乾燥させて保存。
他の房も、本日学んだ、熟れ時になりましたら随時収穫して、おそらく
葉物の胡麻あえ一回ぶん位は採れそうです。
それにしても、今まで知りませんでした。
胡麻は秋の味覚なんですね何と合わせましょうかね♪
そう、そして
冒頭の吉本さんの作品の言葉の抜粋。
1週間くらい前にパッと目に止まりまして
そこから一気に
昨今の力みが抜けていきました。
わたしの施術は、まれに、来れたものの言葉ひとつ話せないまま、ポロポロ涙を流しながら音の波に包まれて、そのまま眠りにつく方がいらっしゃいます。
施術のメインで使用する音叉は、言葉の代わりに音の波となって、その方のからだ、感性、記憶にふれてくれるツールなので、こうした状態の方には特にその作用が浸透しやすいものでもあります。
そして、その方のセッションの後、涙の代わりにあふれてきた言葉は
何度も死のうと思った、でも死ねなかった。
死にたいのではなくて、生きたいから死ねなかったんだって。それだけで、生きていくっていうだけで眠れるなんて思ってもいなかった。。と。
もう、2年、3年前のことですが、今でも分岐点のひとつとして思い出すことがありますし、それから毎年、一年に一回ご褒美でセッションを受けにきてくれていて〈ゆらぎと眠り〉と言えばこの方!と言えるほど、たいせつな、たいせつな方でもあります。
その一方で
〈ゆらぎと眠り〉のセッションは一般的ではないセッションなので、いろんな印象を抱かれます。
信頼していた人からも、です。
ですが、やっと
どう思われてもいいと、どーでもいいと思えてきたものが、やっとこさ!このところあらわれてきて。
そうこう過ごしているうちに
「私は私として生まれてきて私にしかできない感じ方とか考え方を持っていて、ただそのことだけでもう、いいと思うの。決して悲しくはないよ」
の言葉が目に止まり、加速度が増し増しになって、一気に力みが抜けました。
無気力で命を起動させておくだけだった時、わたしがわたしのことさえ触れられなかった時、唯一わたしから離れず、消えそうで消えなかったのは「感性」でした。
〈ゆらぎと眠り〉の音茶やスプレーも、わたししか創る人いないでしょ、の気持ちで創作していますし、これからは、ほどほど先走りでたまに休憩してやっていきますので、ついてきてください✨
公開中映画
「ムーンライトシャドウ」は「キッチン」に収録されている短編小説で、わたしが20代30代前半のころ、吉本ばななさんの作品にふれるたびに救われてきた描写は、なんと言っても「夜」の描写です。特に「夜明け前」の。
「ムーンライトシャドウ」は、まさにまさに夜明け前の小説で、久しぶりに観に行きたいと思った映画。いつぶりでしょうか、映画館は、、、「万引き家族」以来かなあ。
とにかく!行ってきます。観てきます。
どうなっちゃうんだ、わたし笑
もうすぐ十五夜ですねー。
今日もいい眠りを
🌔