春分、中日です。
先月からスタートした【ゆらぎと眠りのサインマップ】。
このワークをしている最中には、ほんのわずかな一瞬にも満たないブレイクスルーが起こります。その直前まではほぼ同じところにいるのに、でも確かにあるほんのわずかな「間」に入ると、「違ってたらごめんねって言える」とか、「あれ?旦那関係ない」とか、「認められなくてもいいんだ」とか、最初にあったテーマとは異なる場所に着地します。
はじめた当初は、最終着地点にお互いキョトン・・・。あれ?ん?……うん!まずは、いいところに落ち着きましたね。うん、うん。
という、若干棚からぼた餅?だと思っていたんです。ですが、そうなる。そうなるんです。そうなってくると、その、間ですね、ブレイクスルーポイント。そこになにがあるんだろう?大げさではなく、ビッグバンポイントになにが起こっているんだ?
そこなーーーーーー。
の、そこは、注目すればするほど通り抜けてしまって、気づいた時にはそこにいるものでつかみようもなくて。ですので、いつか、こういうことかとストンとくるだろうと、そこに手をのばすのを放置していたんです。そうしましたらですよ、つい先日の春分0度のブログを今日見返してみたら、これ………、その中身じゃない?という。
正直このモードを読み返すのはなあと我ながら思うのですが、いい機会なので解説します。
まずは、テーマとして意識が身体から外れぎみだったので、何度も身体と存在という言葉を使って戻ろう戻ろうとしています。その間に、浮上してきた連想をつないでいって最初のテーマであった身体と存在とは異なる場所に着地しています。つまり、最初にテーマとしてあるものは、もう一方のテーマの振り子の役割をしていて、その振り子が大きければ大きいほどもう一方にストンと着地するということが起こっています。サインマップの最中は、最初のテーマも活かしつつ、この連想の、手が止まるとか楽しいが止まるの中にある、なにが起こったらいいかに対して問いかけていくので、もう一方のテーマに着地しているのではないかと。しかも、もう一方のテーマに着地した方がその方の最初の一歩になっていて、最初のテーマに取りかかかりやすくなっている、ということが起こっています。さらに、ここまで詳しい言語化がないまま飛び越えて(間の部分)着地しています。そのあと持ち帰って反すうして、間の部分の言語化に入っていけることが多いです。
そしてなによりも、みなさん表情が穏やかになるし、笑顔になっていくという。。そこ、そこです。
やっと、今までがはじまるし、はじまっていますし、上記のものは一例として、努めていきます。
同じところで堂々巡りしている方、得体の知れないセラピストにいきなり話すのも躊躇してしまうでしょうから、まずは4月1日の「はらっぱマルシェ」でお会いしましょう。待てないわという方は、まわりにいる話せる方にこの要領で話してみてください。話せる方がいないという方は、本当に話せる方がいないか、本当に、いないか、今一度巡らせてみてください。それでもいない方は、できれば外に出て、植物や木や空に。
春分の日って祝日なんですね。
SUBURBAN GRILLでごほうび!
今日も明日もいい眠りを。