寝ても覚めても思い出されるのは桑田ミサオさん。
あの佇まいはなんでしょう。
そういうことだよといった、わかってるふうでもなく
お話のなかにはきびしい時代があったりするのに、にこにこ、もうすんだことともせず、力み語ることもなく、ミサオさんのお母さんとの思い出と気づいたこと
として大切に生きづいていたり。
どこまでもやわらかく
手を動かし
からだを動かし
撮影スタッフさんたちとのやりとりも、スタッフさんたちがミサオさんをみるまなざしまでこちらに伝わってくる。
足るを知るとか慎ましいとも違うちょうどいい感じで。
会話の言葉も、教え、諭すでもなく、経験してきましたと張り出すでもなく。
仕事が仕事さ教えてくれる
黄金の手、宝ものの手
ミサオさんのことを寝ても覚めても思い出されるのは、他界した母方の祖母におもかげが似ているからかもしれない。
それと、保育園児だったころの夢は、誰にも言ったことはないけれど、なぜ言わなかったかというとお花屋さんさんとかケーキ屋さんとかの夢をまわりの子達はキャッキャと話すそれに合わせていたからで、ほんとうのほんとうは
割烹着の似合うおかみさん
でした。
高校生の頃文化祭で割烹着を着て、割烹着を着ることは叶ってしまって、着たら着れただけで満足してすっかり風化していたけれど
再燃いたしました。
割烹着が似合うってゆうところ。
70歳くらいになったら近づいているかなあ。
たっぷりの雨が降り続いていますね。
お野菜はストックのじゃかいもと玉ねぎで乗りきって。
今振りかえると、梅雨の真っ最中、奇跡の雨降りなしの長野旅でした。あ、ウソつきました、深夜から明け方は降っている日がありました。