「今日もいい日を、いい眠りを」

【ゆらぎと眠り】のセラピスト浅沼瞳です。二宮町在住。サインマップ、リズムナンバー、ミントと。心身と数の探究ブログ。

・音の言葉・シュミレーションしてみました。

去年の12月から、眠りのまえの習慣として音叉のワークをはじめています。私の持っている音叉は主に神経系に作用する音叉で、周波数は200ヘルツ~500ヘルツのものを使っています。ほぼドレミファソラシドの音階に近い音の成り立ちをしていて、低いドは256ヘルツ、高いドは512ヘルツに設定されていて、体の内臓や各器官、感情、色とも対応しています。今まではガイドラインに添って音叉の意味や説明を進めていたのですが、どうにもその範囲におさまらないことがありすぎるくらいある訳です。それならば、一音一音ワークして、その時々に応じていったほうが音の言葉としても体の言葉としてもほんとうなのでは?といういきさつで、いざ!はじめてみた訳です。

はじめてみると、初日はほぼ、どの音も言葉はやってきません。体感して、記憶にふれさせて全体のイメージはやってきますが、無理に引き出そうとすると意味がついてきてしまうので、待ちます。やってくるまで待ちます。私の内側から湧いてくると言うよりは、音が教えてくれるまで、やってくるまで待ちます。次の日も言葉にはならないながらも、他の音とかけ合せたりすると、だいぶ輪郭が帯びてきます。二つの音を同時に鳴らすことによってふくらみが生れて個性がきわだつような。ここでポンっと言葉がやってくることもありますが、そうでなければあわてず、眠りにたくして、そのまま眠ます。だいたい3日めになるとサラサラ言葉がやってきます。2日めには断片、かけらだけだったものに、光景や情景がともなってくるので、具体的に色や景色が思い起こされます。一音に対して一色ではないですし、ガイドラインにはない色が現れてきてしまっても、それでよしです。青ひとつとっても青以外の色が無数にふくまれているし、その色も青が生まれるには欠かせない一色であり、音となります。

制限をつくらないと広がってゆきます。無制限になりすぎると音が引き戻してくれます。その中でもどういう訳か、はてな?という言葉がやってきて、ドッシリとして外れないものは書いておくと、後々他の音とかけ合いだすという不思議があります。そうなった時にはもう不思議ではなくなり、音の言葉として並びます。

こんなふうにワークしてゆきます。だいたい3~5日で一音のペースです。それを1オクターブ、ドレミファソラシド8音でひとめぐりをくりかえします。そうしてまた、いちからはじめます。これは前回も書きましたが、まっさらのいち、でありながら、マイナスいちにもなったり、層が生まれているいち、いちの中で常に流動しているいち、のはじまりです。

ここまできて、ふと気づいたのは、ちょうど1ヶ月でひとめぐりしているということと、約5日で1候となる七十二候のリズムと合っていませんか?合っていますΣ(・ω・ノ)ノ

そうとなったら、どうなるのかは分からないけれども何かある気がするし、季節の移り変わりからやってくる気配や兆しと音をかけ合わせてみましょう、と思い立ちました。そうしていよいよ、前置き長くておまたせいたしました。いざシュミレーション。本番さながらシュミレーションをしてみました。

七十二候にちなんだ景色を、プロ顔負け!思い込み気分で撮ったり、もちろん七十二候もお勉強して。これにはかなりはまりました。今でもはまっています。例えば、七十二候の最後「鶏始乳」(にわとりはじめてとやにつく)の「とやにつく」とは何でしょう?調べてみると、鶏が卵を抱いて巣にこもること、とありました。この動きが何を表しているかというと、寒中、今頃の季節に産まれる卵は数が少ない分ゆっくり育ち、一年の中で最も栄養価が高く貴重。ほとんど卵を産まなくなった鶏が、ふたたび卵を抱いている姿は冬の終わりを告げる印、とのこと(サイト暦生活より)。ふんふん、冬になるとほとんど卵を産まなくなるのか、実際はどうなんだろう?鶏を飼っているもえちゃんに聞いてみよう。もえちゃん、冬は産まなくなるんですか?もしくはペースが減るんですか?もえちゃんからの返信は「鶏は、春、産卵率が高くて夏が低かったです。冬は春と夏の間ほどの産卵率でした」とのリアル情報がきました。ありがとー、もえちゃん。そうか、鶏も冬は温存、ほとんど産まなくなるというよりは、卵を産む回数が減って、春の訪れとともにまた産卵期がやってくるんだなと。こんなふうにどんどん掘り下げていきます。楽しいので掘り下がってしまいます。半日で春分の手前「菜虫化蝶」(なむしちょうとなる)まで進んでしまいました。「草木萌動」(そうもくめばえいずる)から「蟄虫啓戸」(すごもりむしとをひらく)の流れはもう春到来の景色が浮かんできます。そわそわします。「桃始笑」(ももはじめてさく)の文字を見て、今、桃はどうなっているんだろうと、いてもたってもいられず、桃の木のようすを見に行ってしまいました。産毛でした。芽吹いていて、少しはりのある白い産毛に包まれていました。ぐんぐん好奇心が止まりません。が、ふと気づいたのです。私は、音の言葉に力を注ぐのですぞ、と。いいでしょう、いいんですもう、七十二候は七十二候としておもむくままやっていきます。ですが、そうでした。音でした。うっかりしていました、すぐ脱してしまうんです。寄り道が多くてやきもきされてしまうんです。何がしたいの!って。待てない人もいます。しかたありません。待てる人に待ってもらうしかありません。私は必ず戻ります。それは確かです。はい、戻ってきました。と、こんなふうにシュミレーションをしまして、ワークしたテーマの一音の言葉と、かさね合わせた音の言葉と付随してやってきた色と、景色の成り立ちから言葉になるまでを残そうと。よし、やるぞと落ち着いたとたん、お待ちくださいと啓示が。私は今ツイッターも行っていて、ツイッターで最も学んでいることは文字数の制限があるということ。その制限が決して不自由でもきゅうくつでもないこと。むしろ、書き手の説明がないほど読み手に創造力と余地が生まれることを日々目の当たりにしています。ですので、音の言葉もそうしてみたい、そうしてみよう。たまに言葉の成り立ちを話してみたくなったら、その時はどんどん書こう。七十二候はサラッと、脱線しないように約5日のリズムに寄り添ってリードしてもらおう。一音に対して12回分の言葉が一年後には集まります。たくさんの支流が大海原へ向かうイメージが湧いてきます。いい感じです。はじめないことには集りませんし、生まれません。いつまでも躊躇がつきまといます。そんなのはイヤです。どうなっているかはわかりません。目的を決めすぎると、届きそうになったとたんその範囲に収めようとさえしてしまうことがあります。とにかく続けてみないことにはわかりません。手探りで思いつくまま、とまどったりふんばったりしながら、とらわれずやってみたい、やってみます。

5日に1回、音の言葉を書き起こします。

・音の言葉・
はじまります。



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