明日は草刈りできそうだなあ〈ゆらぎと眠り〉のセラピスト浅沼瞳です。
こんばんは。
長雨が続くなか、畑作業もストップし、からだを動かさなくてもできること、お家作業にいそしみ、今日は思う存分歩き回れてごきげんです。
やっぱり全身を動かして、施術をして、会話をしたりしていると、見えてなかったことが見えてくるし、知らなかったことを知れるし、動いたからこその発見がありますね。
でも、反転して
動きたくても動けないときがある。
不安でいっぱいになると思考をストップさせて、なんとか命を起動させておくだけの状態。
前向きな言葉はつつ抜けで、はげましの言葉ははげましの言葉にならない。
そんなときは
うつうつとした歩みを歩んできた先人たちの言葉のほうが、ずっと心にしみて支えになることがあります。
「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません
将来にむかってつまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」(フランツ・カフカ)
わたしは、どうしても現実を受けいれられないとき、さらに気持ちが沈んでいってしまうとき、これだけはできました。
笑顔がなんの効力もなく、願っても叶わない。
笑える心境にはとてもなれない、そんなときに、なんとか現実との接点を保っていられました。
もしも、このブログを見ている方がこういう状態のときには、他に、起きたら顔を洗ったり、歯をみがいたりはしてほしい。どんなに無気力でも、すこしリフレッシュされるし、お風呂に入るのが億劫であっても、入らない方がよかったということはないです。
今はこういう状態になることはなくなりましたが、なんとか外に出られるようになって真っ先に買った本は「えんぴつで枕草子」です。
枕草子の全文をえんぴつでなぞる、ただひたすらなぞる、あの!シリーズ化されている本のひとつです。
いつ動けない状態になってもいいように、倒れたままでもこれならできそうだ!と即買いたしました。
本棚の本に目を向けたときに目が合うと、開いたり手に取ったりはしませんが、フッと力が抜けて、あるだけで、今でもほっとする本のひとつです。
外に出るだけではなく、散歩ができるようになったら散歩をぜひ。
周りや他のひとに、何がしたいんだよ、生きていくにはそんなこと言ってられないでしょ、もういいよ、散歩してればいいよ、と言われても、
散歩、してください。
かならず
兆しが
みつかります。
「その行動時給いくらですか?の焦りなら即刻やめたほうがいいよ。あらゆる行動がお金にならないといけないという焦りは国家の焦りやから。
いつも素直にやっとるか?という散歩が無意味なわけないよ」(坂口恭平)
そうこうしているうちに、やっぱり動けば流れがうまれてきますから、まずは流れ自体に気づくこと、からはじまります。
なんで急にこういう内容を書きはじめたかと言うと、セラピーに来れない方がいるんです。
来たくても来れない。
来れる方にはもう、すいすい差し出してしまえますが、来れない方にはどうしたらいいか。。。
今わたしにできるのは、ここで書いていくしかないなと。
ブログ界の端っこの端っこに存在するこのブログは、じょじょに訪問してくれている方が増えてきていまして、わたしのはげみになってもいるんです。
毎月のからだつくりの記事も、できるだけ布団やベットで横になったままでできるようなプチトレーニングにしぼっているのも、そのためです。
それぞれに色んな状況があり、眠れないひとは動けなくなっていますし、動けても眠れないひともいますし、現実逃避で眠れても、なにも変わっていないまま消耗していくひともいます。
来たくても来れない方に、せめて、なんとか、兆しや予感、接点が点在してくれたら。
それだけ、でも
それだけは
それだけ、にはならないんです。
眠れなくても
力を抜いて
横になって
目をつむっているだけでも、睡眠の8割はとれている、と言われています。
力が抜けなくても
力を抜こうとはしないで
力が入っているなと
からだで感じることが
少しだけ力を抜きます。
眠れないとき
力が抜けないとき
これらのことばを
思い出せますように。。
今日も
いい眠りを。
🌃