いつからだったか、去年の夏あたりから、身体の症状や暮らしのあれこれに関して、わからないことは、あっさり「わからないです」と言い始めていました。あまり気にも止めていなかったけれど、ふと一ヶ月くらい前に、そっか、と思えたことは、調べに調べて勉強して、意見を交換したり体験をして、今できるすべてのことをして、その結果わからないから、あっさり言えるんだなと。ヤキモキする気持ちやもどかしい気持ちがないんですよね。これは初事例だわ、とか、その考えにいたったことはないなとか、わからないって、せまいすきまを開く未知数な可能性があって、抑圧されてるものじゃないのよねっていう気持ち。
そうこうして昨日、恒例のバレエのレッスン中ティーチャーに、わたしの身体のクセや勃発した症状を相談したところ、ティーチャーもあっさり「わからないですね!」とおっしゃっていて、あー、やっぱりティーチャーを信頼できるのは、この正直さだなと。それと、今できることを、こつこつこつこつしてきた人なんだなあと。そして、わからないことをそのままにせず、「んー、こうかな、こっちも関わってそう。まずはこの動きをしてみて。あとはこうしてみると、うん!だいぶいい」といった具合に、わからないまま、ひとつひとつ進んでくれました。もちろんこうは行かない理不尽なことってたくさんあって、あきらめることもたくさんあって、それでも、どんなときでも素直でいられたら、すぐには解明できなくても経過と体験が集まってくる。知らないことを知ってるっていうその場しのぎの説得力のなさよりよっぽど説得力がついてくる。
わからないときは教えてもらおう、学ぼう、それでもわからないときは実験しよう、経験しよう。
こつこつと、ですね。
空を見上げて、いつかどうにかなるかなあ、こつこつと。
今日もいい眠りを。